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私の生まれた其の場所では、私はきっと其れなりの身分があったんだと、思う。
・・・思う、というのは私自身がそんな時の事、覚えていないから。
唯、覚えているのは。
仮面を前に何も知らない、無力な私。
そして、
暗い部屋でぼんやりと壁を見つめる、私の大切な――
「――今日は、此れでお終いにしましょう」
お琴の先生がそう言い、私に微笑みかける。
「はい、有り難う御座いました」
私は畳に手をついて、深々と頭を下げる。其れを見て先生が、遊んでいらっしゃい、というから、立ち上がって障子の前でまだ正座をして、頭を下げて、其のまま障子を開けて――という面倒くさいけれど、其れでも作法に必要な一連の動作をやってのけると、部屋を出て行く。
中庭に面している、長い廊下。
此の屋敷こそが、幼い頃の私の家だった。
「お嬢様は才能がおありですわ。素晴らしい上達ですこと」
華道や茶道、お琴や・・・そんな色んな事を学んでいた当時の私に、先生達はよくそう言ってくれた。其れがお世辞なのか、其れとも本気で言っているのか、私にはよく分からなかった。
ただ、褒められると、嬉しくて。御父様やお母様にも褒めて頂けるから、嬉しくて。
・・・其れだけだった。
・・・・でも、私が持っている本当の力を、私を褒めてくれる人達は誰も知らない。
そして、此れから会いに行く、"あの子”も。此の力だけは、知らない。
暫く廊下を歩いていくと、目的の部屋についた。
「・・・ん?」
私は首を傾げる。
今はもう、夕刻。灯りが灯っていてもおかしくは無いのに、其の部屋からは灯りが漏れ出していなかったからだ。
昼食の席に顔を見せなかったが、寝ているのだろうか、と思い、声をかける。
「鈴。お姉ちゃんよ。・・・・入るよ?」
すると、部屋の中で何かが動く気配がする。
――良かった。どうやら、起きているようだ。
「おねえちゃん・・・・」
やがて、部屋の中から聞き取るのがやっとの小さな声が返って来た。
「うん・・・いいよ・・・・」
「ありがとう」
私は微笑んでから、障子を開ける。
必要最低限のものしかない、がらん、とした部屋。灯りが無い所為で、薄暗い其の部屋であの子が、何時ものように布人形を抱きしめて、部屋の隅に居た。
寝ていた・・・わけでは、なさそうだ。布団はきちんと畳んである。唯、其れを押入れに入れるのは無理だったのだろう、綺麗に部屋の隅に置いてある。女中達はどうしているのだろう、とため息をつきたくなるが、今は、考えないでおく。
「鈴、もう夕方よ。何してたの?」
「・・・・・ねてた」
「お昼も食べないで?」
「おなか、すいてないの」
灯りをつける為、行灯に近寄ると、妹がそう答える。
嘘だ、と直感的に思った。
其れでも妹は、本当の事など、言いやしない。
私はだから、其れ以上は何も訊かないで、灯りを点す。
ぼぅ、と淡く灯った灯りの中、妹の姿が、見えた。
肩あたりまで伸びている髪は、幾重にも波打った、綺麗な琥珀色な髪。眼は、私と同じ深い藍色で――此の極東の地にある都市国家では、普通ありえない色だった。
其れなのに、私達は此の土地の人達の特徴である黒髪黒目じゃない理由は、簡単だ。
母が、流れの魔曲使いだったのだ。
波打った琥珀色の髪と深い藍色の瞳を持った母は、旅の途中で立ち寄った此の都市で、父と出会い、そして結ばれた。
旅が好きな母は、時折寂しそうな顔をしていたけれど、其れでも幸せそうで。私によく、他国の御伽噺や母自身の旅の話をしてくれた。
私は、そんな母が好きで、尊敬をしていた。魔曲使いになりたい、とそう本気で願っていた程に。
・・・だけれど、妹は、どうだったのだろうか。
私は、ぼろぼろになった布人形を抱きしめて、変わらずに壁を見つめる妹を見た。
笑うと、本当に可愛い顔をしているのに其の顔は無表情で生気が、無かった。・・・いや、無表情では、無い。
顔の何処かに何かに脅えているような色が、見え隠れしている。
「鈴、」
私は、妹を呼び、行灯の前から立ち上がる。
其の時。
「!?若葉お嬢様、どうして此処に!!」
入室の挨拶も無しに突然聞こえた、其の聞きなれた声に、私は僅かに繭を潜めて其方を向いた。
其処には、妹の乳母が驚愕の表情で立っていた。手には、三つのおむすびが載った盆。
どうやら、ご飯を食べない妹に適当に作ってきたのだろう。
「妹とお話をしようと思って。・・・・・・・・何か、問題でも?」
「・・・・っ。鈴花お嬢様、此方にお食事をおいておきますので・・・・。
さ、若葉お嬢様っ」
乳母は出入り口の近くにお盆を置くと、僅かに頷いた妹の方を見もせずに若葉の方へと近寄り其の手を掴んで、引っ張る。私は其れに引っ張られる形になって、立ち上がり、ぐいぐいと乳母の方へと引き寄せられる。
「あ・・・・」
妹が、僅かに声を上げた。
「・・・やめて、あげて。おねえちゃん・・・・いたそう」
其の言葉に、乳母ははっとして、作り笑いを其の顔に貼り付けた。
「い、嫌ですわね・・・私ったら」
ほほ、と笑いながら握っていた手を、少し緩めた。
「では、鈴花お嬢様。姉上はもう少しお稽古がありますので・・・失礼しますね」
「・・・・そうだったんだ。がんばってね、おねえちゃん」
「え?わ、私は――」
私が慌てて言葉を紡ごうとした時には既に、乳母が私を連れて、部屋を出ていた。
ばん、と大きな音がして障子が、閉まる。
「・・・・妹君にお会いしてはいけませんと、何度も申し上げました」
冷ややかな声で、乳母は私を見た。否、睨んだ。
私は一瞬だけ言葉に詰まると、慌てて言い返す。
「鈴は、良い子だよ」
「お人柄の事を申しているのではありません。・・・・あのお方が生まれた時、占い師が何をいったか、お忘れですか」
「・・・・!でも!!」
「あの方は、不幸を呼び寄せます。・・・ですから、時期当主である貴女様が・・・近付いて良い理由は一つもありません」
「そんな、でもあの子はっ」
「さぁ、お嬢様。御自分のお部屋で大人しくしておいてください。今日の事は、旦那様にご報告致しますわ」
乳母が、私の手を強引に引いて、私の言葉に耳を傾けずに前へ前へ進む。
違う、と心の中で私は叫んだ。
(妹は、そんな子じゃない――!!)
"そう”なのだとしたら。
・・・・・だと、したら。
人々の、"終わりが見える”私なのに。
だけれど、其れを口に出す事は出来ず。
・・・私は、唯、無力だった。
終わりが見える姉と、生まれる前から忌み子とされた妹。
・・・其れが、私達姉妹の、最初の記憶―――・・・・・。