あの子が産まれた日の事。
今でもよく思い出せる。
陽が柔らかく陽だまりを作る。
そんな日の、朝。
あの子は、倉橋家の次女として。
私の、妹として。
此の世界に生まれた。
屋敷の一室。
母の部屋。
其の腕で眠る、幼い命。
「ちいさい・・・ですね」
先程、ようやく眠った其の小さな小さな妹を見て、まだ幼かった私は微笑んだ。
母は、疲れた顔をしたが、其れでも微笑んでくれた。
「そうですわね。・・・可愛い子が、生まれましたわ」
然し、母の其の言葉に同意するものは誰も居ない。
父も、私の乳母も、産婆も――とにかく、此の部屋に居る者全てが硬い表情をしていた。
理由は、私も知っていた。ただ、良く分かっていなかっただけで。
「・・・おかあさま、おつかれでしょう?やすまれないのですか?」
「・・・・叔父様たちに挨拶をすませたらね」
母が、そう。呟いた時だった。
「失礼致します」
障子の向こうから、年老いた女中の声がした。
「親族の皆様と・・・・お婆様が」
其の言葉を合図に、部屋の空気は一層重いものとなった。
此の都市国家でも指折りの占い師。かなりの高齢ながらも、まだまだ現役のその人を、お婆様、と呼ぶ人は多い。
倉橋家の専属占い師の彼女は、親族達が妊娠をしたり婚約をすると、其の先の運勢を占う。そのほか仕事の事なども細々占っていたようだが・・・・私は知らない。知る前に、私は其の権利を失くしたのだから。
腰が曲がり、気難しげで皺だらけの顔をしたお婆様は、親族よりも先に部屋に入ると、其の幾つもの未来を見てきたという、大きな瞳を母へ向けた。
正確には、其の腕に抱かれた、妹へ。
「・・・・産むな、というたのに」
唸るように言ったお婆様。
其れに対抗するように、母は口を開いた。
「折角授かった子を、殺すなど・・・・母である私には出来ません!!」
「其の子は可哀想に、生まれてくる前に厄をたくさん背負ってきた。・・・だから、きっと其の厄を周りに撒き散らす。存在するだけでね」
「そんなっ――」
「余所者のあんたには分からないだろうけどね、」
低い声で、諭すように。お婆様は言う。
「此の都市・・・少なくとも、此の家では、そういった厄をもって生まれてきた子どもは産まれる前に還って貰うんだ。厄と一緒にね。・・・其れなのに、まぁ。余所者のあんたがどうしても、と泣きつくから・・・・ついつい、情に流されてあるべきところへ戻らせるのを遅れて・・・結局、生まれてきて」
お婆様は深い深いため息をついた。
「此の子を占った其の日に、前当主殿が亡くなっただろう?其れだけじゃない、去年は不作だったではないか。此れも全て――」
「偶然です」
空気が、ざわめいた。
私は、母を見上げた。母は、泣き出しそうな顔で妹を抱いていた。
其れでも、気丈な表情で、お婆様を、親族を睨んでいた。
「私が此の家に入るのを許したのは新しい風を、血を、入れる為だと聞いております。各地を廻り、知識を持った私の血を入れる為に・・・。
其れは、新しい事を受け入れていく、という事ですわよね?・・・・だから、此の子は生かします。・・・生きていて、貰います」
お婆様の目が細められた。
「・・・旦那様は、どうお考えなんだい?」
其処で初めて、父が口を開く。
「私は・・・・どちらでも構わん」
「あなた!!」
「全てにおいて才能を発揮すると予言され、事実其の通りになっている若葉が居る・・・だから、私は別に其の娘はいらん、と思っている」
突然、名前を呼ばれて若葉はびく、と身体を強張らせた。
自分が居るから、此の子は要らない?
そんな事を言われて――頭の中が、真っ白になった。
「私達は間引くべきだと思っている。――そんな、不吉な子」
「お婆様の占いは外れません。貴女は其れを知らないから・・・・いえ、知っているのに。愚かな」
「やはり、他国からきた者を嫁にするなど――」
親族が、勝手に私達家族の事に口出しをする。
私の母と。
生まれたばかりの、自分が何か、まだ分からない妹を。
愚弄する。
「やめて!!」
気がつけば、叫んでいた。
なきながら。
叫んでいた。
皆が、驚いたように私を見た。
まるで、私が居た事に今、初めて気づいたように。
私は顔を上げ、きっとお婆様を睨んだ。
「おばばさまがいったのに。すべてのひとは、いきているけんりがあるって。だからじぶんはひとびとをみちびくって・・・!!」
「お嬢様・・・・」
「なのに、このこはころすの?わたしのいもうとはいらないの?
・・・・やだ。わたしはやっとおねえちゃんになれたんです。これから、このこのあねになるんです。だから――」
涙が溢れて。
えんえんと、天井を仰いで大声で泣いていた。
みな、其れを唖然と見守っていた。そんな中。
「・・・お願いします」
母が、震える声を出した。
「此の子を・・・・見逃してやって下さい。お願いします・・・後生です」
妹を抱いたまま、深々と頭を下げた――・・・・
人気がなくなった部屋で、母は妹を抱きしめていた。
其の布団の横に、私は座っていた。今、此の部屋には私達しか居ない。
「若葉・・・・顔の回り、真赤ですわ」
「ぅー・・・・」
くすくすと笑う母を見て、むぅ、と拗ねて見せた。
先程まで泣いていて、喉も渇いている。
けれど、其れ以上に嬉しかった。
「このこ・・・いて、いいんですね」
「・・・ええ」
そう。妹は、生きる事を赦された。
・・・・いつか、決定的な何かがあるまで。
そんな、不明確な条件つきで。
「なまえ・・・どうするんですか?」
母は、私を見て優しく微笑んだ。そして、妹ごと私を抱きしめる。
「すずか」
「すず、か」
「ええ。鈴の花って書いて、鈴花。・・・良い名前でしょう?」
すずか、すずか、と私は口の中で何度も繰り返す。
「・・・すず、ってよぼうかな」
「ふふ。好きに呼んであげなさいな。・・・たくさん、呼んであげなさい。
名前が、此の子が此処にいる、きっと証なのだから――・・・・」
母は、微笑んでいた。
異国の藍色の目を、細めて。異国の琥珀色の髪に陽の光を浴びて。
嗚呼、綺麗だな。
そう、思った。
然し、其の想いの全ても残せぬまま。
決定的な何かは、やってきてしまった。
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